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ライブと美味しい食事を楽しむ。そんな横浜の音楽カルチャーを構築したTHUMBS UPの佐布仁之さんにインタビュー
東京にはない音楽カルチャーが横浜には存在している。「美味しい食事とライブをカジュアルに楽しむ」。フェスにも通じるようなそんな場所を、1980年代後半から横浜で構築してきたのが、STOVES/THUMBS UPの佐布仁之さんだ。グリーンルーム、ローカルグリーンにも初回から欠かさずにフード出店している佐布さんに、「音楽と食の素敵な関係」について聞いた。

––– どんなきっかけがあって飲食業をはじめたのですか。
中学生くらいの頃に、大人が溜まっている喫茶店みたいなところによく行っていて、マスターにも可愛がられていたんですよ。それでいつか同じような仕事をやりたいって思ってたんです。
––– 最初のお店が87年に横浜でオープンしたBuddyになるのですか。
自分の店ではね。その前の確か大学3年のときに、友だちが親の財産を受け継いで、「そのお金でアメリカに行くか、店を出すか迷ってんだ」って相談されて。「店にしようよ」と返事して、そいつと一緒に店を作って。レストランバーっていうか、当時で言えばカフェバーっていう感じのお店を横浜で出して。5店舗くらいまで店を広げて、そして独立してはじめたのがBuddy。
––– Buddyのメニューもアメリカンテイストのものだったのですか。
そう。アメリカが好きだったからね。アメリカンロックがとにかく好きだったから。
––– Buddyでもライブをしていたのですか。
週に2回くらいやっていたかな。チャージは500円とかで、ふらっと入ってきた人がそのままいてくれるような値段で。
––– そういうレストランバーって、アメリカには多いですからね。日常にライブがあるというか、ライブが特別なものではないものとして、みなさんが楽しんでいる光景がアメリカにはあります。
そういうのがやりたくて。安いチャージでライブをやるバーって、横浜はもちろん、東京にも当時はあまりなかったから。

––– そしてSTOVESが94年にスタートして、ライブハウスに近いTHUMBS UPが98年にオープンしました。はじめてTHUMBS UPに行ったときに、ライブを見ながら美味しい食事が食べられるカジュアルなお店が日本にもあるんだって思いましたから。
俺のなかでは、レストランバーの延長線上にあるのがTHUMBS UPなんですね。ライブハウスからの流れじゃないから、ライブを見ながら食事も出すっていうのは自然な流れでした。
––– 最初のフェスへの出店はグリーンルームだったのですか。
大桟橋でアロハ横浜っていうイベントをやってたんですよ。それに出たのが、たぶん最初。当時はハワイアン・ミュージックが流行っていて。アロハ横浜ではフラがメインではあったんだけど。後にグリーンルームフェスを立ち上げた釜萢(直樹)さんが、大桟橋でアパレルの展示会をやっていて。それになぜか俺はフードを売りに行ってたんだよね。そのときに話しているなかで、釜萢さんが「カリフォルニアで開催されているムーンシャインみたいなフェスを横浜でやりたいんだ」みたいな話をしていて。それで俺が「大桟橋では、音楽イベントとかライブとかもやってるよ」って。「THUMBS UPではKEISONやCaravanなどもライブをやってもらっていてから開催するのなら紹介するよ」って。

––– 横浜でのグリーンルームには初回から出店していましたよね。
そう。
––– 当時はどんなメニューだったのですか。
ナチョスとかだったかな。スパムおにぎりだったり、カットしたフルーツだったり。まだうちのお店のメニューにもハンバーガーはなかったはず。
––– 横浜でライブを楽しむ場所でのハンバーガーというのはTHUMBS UPからはじまっていたと思っていました。
「アメリカが好きなんだから、やっぱりお店でもハンバーガーをやろう」って思いついて、やりだしたんですよ。ハンバーガーがグルメバーガーと言われるようになるちょっと前のことで、バーガーを700円とか800円で出しても売れないよって、店のスタッフにも言われていたんですよ。それでもパンも焼いてハンバーグも自分たちで作ればわかってくれる人はいてくれるだろうと。そう思ってやり出したら、グルメバーガーの波がやってきて。
––– メニューに関して、こだわりはあるのですか。
作れるものは自分たちで作るっていうこと。バーガーであれば、パテもバンズも作る。ソーセージもアイスクリームも。意識としては、キャンプに行って、焚き火の前で何を作ろうかって悩みながら、ある食材を使っていろんなものを作っちゃう。そんな男の手料理。高級でスペシャルなものじゃないけど、材料があればなんでも作れんじゃん、みたいな。
––– ずっとグリーンルームやローカルグリーンに参加してきて、この横浜を代表するフェスの魅力はなんだと思っていますか。
大型フェスであるにも関わらず、のんびりしている人たちが多いと思う。このアーティストが出ているからとかっていうよりも、グリーンルームに参加したいっていうふうに思っている人が多いんじゃないかな。
––– 音楽も食もアートも、そこで出会って、広がっていくといいですよね。
好きな音楽を見つけられれば、そのミュージシャンのライブに行くようになればいいし、美味しいメニューに出会ったら、その店に食べに行ってもらえばうれしいし。音楽に日常では触れていない人が、「楽しそうだから行こうよ」ってみんなで誘いあって集まる。そして楽しんで帰る。それがちゃんと週末の遊びとして広く浸透させたことが、グリーンルームの大きな存在理由だと思うよ。いろんな人が入りやすくて、楽しみを見つけられるフェス。だからこそローカルフードとして出店している俺らも出店に関して頑張っているしね。

––– グリーンルームのローカルフードエリアは、そこだけ違う空気感が流れていて、いわばオアシスのような場所ですからね。
グリーンルームが持っているカラーを外さないっていうのかな。おしゃれに楽しむっていうイメージもあるじゃないですか。それをちゃんと表現できるような店作りをして、そんなエリアにでしようっていうのは、エリアに出店しているみんなと話しているから。やるからにはいいものにしたいっていう思い。
–– 今年の春のグリーンルームではチーズバーガーが850円。今の時代ではかなり安い設定でした。
そうかな。前は650円で出してたこともあるのね。今年850円にして、ドキドキだった。「こんなに高くて大丈夫か」って。まあ材料費も上がっているから、値段を上げざるをえなくなっているんだけど(笑)。

LOCALGREEN FESTIVAL '25
開催日:11月8日(土) / 9日(日)
会場:横浜赤レンガ倉庫
https://localgreen.jp/
––– どんなきっかけがあって飲食業をはじめたのですか。
中学生くらいの頃に、大人が溜まっている喫茶店みたいなところによく行っていて、マスターにも可愛がられていたんですよ。それでいつか同じような仕事をやりたいって思ってたんです。
––– 最初のお店が87年に横浜でオープンしたBuddyになるのですか。
自分の店ではね。その前の確か大学3年のときに、友だちが親の財産を受け継いで、「そのお金でアメリカに行くか、店を出すか迷ってんだ」って相談されて。「店にしようよ」と返事して、そいつと一緒に店を作って。レストランバーっていうか、当時で言えばカフェバーっていう感じのお店を横浜で出して。5店舗くらいまで店を広げて、そして独立してはじめたのがBuddy。
––– Buddyのメニューもアメリカンテイストのものだったのですか。
そう。アメリカが好きだったからね。アメリカンロックがとにかく好きだったから。
––– Buddyでもライブをしていたのですか。
週に2回くらいやっていたかな。チャージは500円とかで、ふらっと入ってきた人がそのままいてくれるような値段で。
––– そういうレストランバーって、アメリカには多いですからね。日常にライブがあるというか、ライブが特別なものではないものとして、みなさんが楽しんでいる光景がアメリカにはあります。
そういうのがやりたくて。安いチャージでライブをやるバーって、横浜はもちろん、東京にも当時はあまりなかったから。

––– そしてSTOVESが94年にスタートして、ライブハウスに近いTHUMBS UPが98年にオープンしました。はじめてTHUMBS UPに行ったときに、ライブを見ながら美味しい食事が食べられるカジュアルなお店が日本にもあるんだって思いましたから。
俺のなかでは、レストランバーの延長線上にあるのがTHUMBS UPなんですね。ライブハウスからの流れじゃないから、ライブを見ながら食事も出すっていうのは自然な流れでした。
––– 最初のフェスへの出店はグリーンルームだったのですか。
大桟橋でアロハ横浜っていうイベントをやってたんですよ。それに出たのが、たぶん最初。当時はハワイアン・ミュージックが流行っていて。アロハ横浜ではフラがメインではあったんだけど。後にグリーンルームフェスを立ち上げた釜萢(直樹)さんが、大桟橋でアパレルの展示会をやっていて。それになぜか俺はフードを売りに行ってたんだよね。そのときに話しているなかで、釜萢さんが「カリフォルニアで開催されているムーンシャインみたいなフェスを横浜でやりたいんだ」みたいな話をしていて。それで俺が「大桟橋では、音楽イベントとかライブとかもやってるよ」って。「THUMBS UPではKEISONやCaravanなどもライブをやってもらっていてから開催するのなら紹介するよ」って。
––– 横浜でのグリーンルームには初回から出店していましたよね。
そう。
––– 当時はどんなメニューだったのですか。
ナチョスとかだったかな。スパムおにぎりだったり、カットしたフルーツだったり。まだうちのお店のメニューにもハンバーガーはなかったはず。
––– 横浜でライブを楽しむ場所でのハンバーガーというのはTHUMBS UPからはじまっていたと思っていました。
「アメリカが好きなんだから、やっぱりお店でもハンバーガーをやろう」って思いついて、やりだしたんですよ。ハンバーガーがグルメバーガーと言われるようになるちょっと前のことで、バーガーを700円とか800円で出しても売れないよって、店のスタッフにも言われていたんですよ。それでもパンも焼いてハンバーグも自分たちで作ればわかってくれる人はいてくれるだろうと。そう思ってやり出したら、グルメバーガーの波がやってきて。
––– メニューに関して、こだわりはあるのですか。
作れるものは自分たちで作るっていうこと。バーガーであれば、パテもバンズも作る。ソーセージもアイスクリームも。意識としては、キャンプに行って、焚き火の前で何を作ろうかって悩みながら、ある食材を使っていろんなものを作っちゃう。そんな男の手料理。高級でスペシャルなものじゃないけど、材料があればなんでも作れんじゃん、みたいな。
––– ずっとグリーンルームやローカルグリーンに参加してきて、この横浜を代表するフェスの魅力はなんだと思っていますか。
大型フェスであるにも関わらず、のんびりしている人たちが多いと思う。このアーティストが出ているからとかっていうよりも、グリーンルームに参加したいっていうふうに思っている人が多いんじゃないかな。
––– 音楽も食もアートも、そこで出会って、広がっていくといいですよね。
好きな音楽を見つけられれば、そのミュージシャンのライブに行くようになればいいし、美味しいメニューに出会ったら、その店に食べに行ってもらえばうれしいし。音楽に日常では触れていない人が、「楽しそうだから行こうよ」ってみんなで誘いあって集まる。そして楽しんで帰る。それがちゃんと週末の遊びとして広く浸透させたことが、グリーンルームの大きな存在理由だと思うよ。いろんな人が入りやすくて、楽しみを見つけられるフェス。だからこそローカルフードとして出店している俺らも出店に関して頑張っているしね。

––– グリーンルームのローカルフードエリアは、そこだけ違う空気感が流れていて、いわばオアシスのような場所ですからね。
グリーンルームが持っているカラーを外さないっていうのかな。おしゃれに楽しむっていうイメージもあるじゃないですか。それをちゃんと表現できるような店作りをして、そんなエリアにでしようっていうのは、エリアに出店しているみんなと話しているから。やるからにはいいものにしたいっていう思い。
–– 今年の春のグリーンルームではチーズバーガーが850円。今の時代ではかなり安い設定でした。
そうかな。前は650円で出してたこともあるのね。今年850円にして、ドキドキだった。「こんなに高くて大丈夫か」って。まあ材料費も上がっているから、値段を上げざるをえなくなっているんだけど(笑)。

LOCALGREEN FESTIVAL '25
開催日:11月8日(土) / 9日(日)
会場:横浜赤レンガ倉庫
https://localgreen.jp/